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Nagisa Siowatari

Author:Nagisa Siowatari

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本家 Decayed sea (IE 7 では閲覧できないことがあります)の飛び地その二です(他の飛び地は消滅しました)。

うつ、GID その他精神疾患を抱えまくりのなぎさです。
宜しくお願い致します。

心安らぐコメントであたしのツングスケールのポイントが下がる可能性があります。どうかご協力ください。


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このブログはいわゆるメンタル系です。うつ、GID その他の精神疾患を扱っています。

その様な話題が苦手な方、嫌悪感を覚える方はスルーして下さい。

また、あたしの治療に差し支えがあるコメント等は無視するか削除させて頂きますのであらかじめご了承ください。

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紫陽花館

2004年3月19日(公開は20日) 21ページ。

10年程前に書いた舞台台本がベース。ただ、当時書いた台本はすべて失われているので、内容を思い出しながら書き直し。登場人物の名前やストーリーの細かい部分は違っているはず。ホラー風。「裏庭の坊や」より「えぐい」描写があると思うのでそう言うのが苦手な方は注意して下さい。 舞台台本としては最初の作品。

紫陽花館

なぎさ

(一)

連日の雨が嘘のようにその日はすっきりと晴れていた。アスファルトで舗装された道は水気を吸い取りはしないのでからりとしても良さそうなものだが、鬱蒼とはしていないものの両脇を木々に囲まれた坂道は蒸し暑くさえも感じられた。だが、都会の真夏のような嫌らしさとは違う、どこか気持ちの良い蒸し暑さだと思いながら秀典は肩にかけたスポーツバッグを担ぎ直した。

山奥と言うほどでは無いが「都会」とは無縁の駅から更にバスを乗り継ぎ、バスを降りて既に小一時間は歩いたであろう。額と言わず顎と言わず、シャツの胸や脇も汗でじっとりと濡れている。色白の、逞しいとはお世辞にも言えない男が大きなバッグを抱えて行く道の先には、一件のお屋敷が待っていた。

紫陽花館。

地元に住む者達は、その館のことを詳しくは知らなくとも皆が皆そう呼んでいる。小高い山の頂き付近に、なぜか高くそびえる塀に囲まれたその館の内部を知る者は、地元の者と言えどもそう多くはなかった。そして今、秀典が登る道はその館以外のどこへも辿り着くことはない道である。道の終点がその館であった。


やぁ。ようやく見えたか。


思わず口をついて出た言葉は、吐息のように力も無く山の空気に消えていった。目の前に、まさに忽然と現れた洋風の塀は、どれほど背の高い人でさえ中を覗き見ることはできそうも無いほどの高さである。まるで、刑務所かなにかの塀のようだが、その、どことなく洒落た風貌が威圧感を和らげている不思議な塀である。


秀典がここへ来たのには訳がある。だが、どうしてここなのかはそうと決めた本人にさえこれと言う訳を説明することはできなかった。とにかくいつかどこかで知ったこの館に訪ねてみたかったのだ。駆け出しの小説家である秀典は、当の本人さえ驚くほどの人気に恵まれた。一つ脱稿したかと思えば次の仕事が待っていると言った日常にいつしか麻痺し、それまでどうとも無かったことがなかなかできない自分に気付きはじめていた。そこでようやくまとまった休みと言うものを得、休みをその館で過ごしてみたいと思いたったのである。そして、気が付くと館の主に約一月の滞在の許可を得、今こうやって坂道を上っているのである。そしてとうとう、その高くそびえる塀が目前に迫っていた。


噂通りの高い塀だ。何もここまで用心しなくともこれほどの山奥であれば誰も忍び込むことは無かろうに。


感嘆と疑念を抱きながら塀に沿って更に道を進んで行くと、塀にも負けじとそびえ立つ門が待っていた。何もかもが洒落た造りではあるが、何もかもが中の景色を閉ざすことに一生懸命になっている。この不釣り合いさが魅力的でもあり、神秘的でもあり、不思議でもあった。門の脇には如何にも日本然としている「水無月」と書かれた表札がある。ここだ。

ふう。と溜め息と同時にバッグを地面に放り出し、目の前の呼び鈴を押すのさえ大層なことのように思いながら、秀典はしばらく膝に手を付き息を整えていた。野鳥がかん高い声を残して飛び去っていく。その空をふと見上げると、陽はかなり傾いていた。

暫くして息が整うと、ハンカチで顔や首を拭ってみた。しかし、初夏とは言え山の上の空気はとっくに汗の水分を吸い取り、次なる汗を要求してはいなかった。いや、汗を要求すると言うより、汗で濡れた衣服が体温を吸い取り、肌寒ささえ感じられるほどである。秀典はその肌寒さと暮れ行く空に少し不安を覚えてようやく呼び鈴を押してみた。それも塀や門に負けじと古風で洒落た造りの釦である。押してはみたものの、本当に機能しているのかと更なる不安を感じてしまうほどだ。秀典は「もう一度押してみようか」と言う衝動をなぜか押し止めてしまった。再び押すことが躊躇われたのである。それは塀の所為か、門の所為か、はたまた古風な釦の所為か、そのいずれかの融合の所為か。見回せどもこの屋敷以外に人気の無い山中に、唯一の人家の門前で寂しく夜を明かす恐怖も感じたが、どうしても再び釦を押すことだけは躊躇われたのである。腰でも下ろして待っていようかと足が判断しようとしたその時、門の向こうで物音がした。大きな門を抉る様にしつらえられた潜り戸が開き、そこから女が顔を覗かせた。

年の頃はまだ若そうだ。背もそれほど高くはない。どちらかと言えば痩せてはいるが、痩せ細っているとも言いがたい。屋敷には三人が住うと言う。そのうちにメイドが居ると聞いていたが、はたしてそのメイドと言うのが彼女であろうと秀典は思った。いや、思ったのでは無くすぐさまそう確信したのである。それは、女が身に付けている服装が、いかにも「メイド」であったからである。

「先日お電話いたしました菊中と申します」

小さくおじぎをしながら秀典がそういうと、

「あー、はいはい。奥様がお待ちかねでございますぅ。ご案内いたしますからどうぞこちらへー」

妙に語尾をのばすのは流行かもしれないが、変わったメイドだなと思いながら、秀典はその門を潜った。


西へ傾き、柔らかく、暖かい色になった日ざしが映し出した門の中は、文字にすればあまりにありふれた表現ではあるが、まるでお伽の世界であった。それほど大きな山とは思えなかったが、延々と続く塀の中はそれに負けじと広々とした空間が広がっている。屋敷は見えてはいたが、歩き疲れた足にはかなり遠くにあるかに思えた。しかし、背中を押すには十分すぎるほどの景色がそこには広がっているのだ。

その景色の中には、「あじさい」が咲き乱れている訳では無いが、様々な種類や色の花々が咲き乱れ、心地よい香りが疲れを癒し、棒のようになった足を生き返らせ、そこを通り過ぎて屋敷に入ることが勿体ないことのようにさえ思えるほどである。

「美しい花園ですね。さぞかし手入れは大変でしょう」

ひとしきり感嘆した後に秀典が発した言葉を受けたのは

「それほどでもございませんよ」

と言う素っ気ないものであった。

それをいぶかし気に思う暇もなく、今度は目前に迫った屋敷に感嘆しなければならない。


なんと忙しい一日だ。


そう思いながらも、見事と形容しなければならなく思えるほどの洋館に見とれていた。あまりに庭が広いのでそれほど大きくは感じなかったのだが、いざ目前にするとその洋館は今まで目にして来た塀や門、庭に負けないほどの威厳をたたえ、そのいずれをも圧倒する美を振りまいている。足を棒にした甲斐があった、いや、今まで暇を知らず働き詰めた甲斐があったと満足し、ここを選んで良かった、そして、了承してもらえて良かった等と安堵していると、

「どうぞぉ、お入り下さいませぇ」

と、メイドが促した。

重厚だが暖かい感じの扉を潜るとホールになっていて、優雅に曲がりながら上る階段が見える。メイドは更に右手の扉へと向かっていた。後へ続くとその扉の向こうに何かの映画で出て来てもおかしくはないほどの部屋が現れた。大きなれんが造りの暖炉、数は多くはないが部屋の雰囲気を程よく盛り立てている調度品の数々。木製のテーブルや椅子も、客人を持て成すにはこの上無い装飾と、永年人に愛されて来た質感とがからみ合い、構え過ぎるでも無く、快く客人を迎え入れてくれているように映った。その部屋の片隅で揺れ椅子に腰をかけ、編物を手にしている女性の姿が見えた。彼女はメイドが扉を開けるとこちらを振り返り、秀典の姿を見ると編物の手を止め、立ち上がった。

「まあまあ。遠路はるばるよくお越し下さいました。たいそうお疲れになったでしょう。お荷物はすみれにお渡しになって、どうぞこちらへ掛けてお寛ぎ下さい。すみれや、お客さまのお荷物をお部屋へお運びして頂戴な。それから、温かいスープをお出ししてね。ささ、お掛けになって。今、我が家特製のスープをお持ちいたしますから。それからお夕飯にいたしましょう」

暑い中を歩いて来た秀典にとって、いや、この季節にいきなり「暖かい」スープよりも早く汗を流したいななどと思いつつも、「我が家特製」と念を押されては断るわけにもいかず、

「ご厄介になります」

と一礼をして適当な椅子へ腰をかけた。そのときに気付いたのだが、この部屋に少しだけ似つかわしくないものがあった。それは、今入って来た扉の向かい側に位置する窓の下に、壁から生えたような木製のベンチである。似つかわしくなくはないと言えばそうかもしれない。そこに座って外を眺めるのもまた一興だろう。だがそれは、屋敷や部屋のそれとは少し違った雰囲気を持っていた。

ふとご夫人の方を伺うと、また黙々と編物を編んでいる。何か切り出した方が良いのかそれとも黙っておいた方が良いのか思案しているうちに、すみれがワゴンを押して入って来た。

「どうぞお召し上がりくださぁい」

コンソメスープのように透き通ってもいないが、ポタージュよりは透明感があるようなクリーム色のそれは、とても不思議な良い香りが湯気とともに立ち上っていた。一口すすってみると思ったよりも熱くなく、口の中にふわりと広がったかと思うと喉を通り潤いと満腹感を与えてくれた。

「これは旨い」

呟くような声で感嘆したかと思うと、我知らず黙々とスープをすすっていた。気が付くと皿は空になり、すみれと女主人である菖蒲がこちらを見つめていた。その視線に思わずドキリとした秀典は取り繕うように口を開いた。

「とてもおいしいスープです」

「そうでしょう。我が家特製ですもの。お代りはいかが?」

「はい。頂きます」

そうして都合三杯ものスープを平らげると、

「いやぁ、おいしい。お腹が一杯になりました。このようなおいしいスープは生まれて初めてです。ぜひともレシピを教わりたいのですが」

料理が得意と言う訳では無いが永年の一人暮らしで多少の腕は持っているつもりだ。これだけ旨いスープを丸のまま再現できはしなくても、ぜひレパートリーに加えてみたいと純粋にそう思ったのであるが、

「我が家特製なれば門外不出の献立故にお教えする訳にはまいりませんのよ」

とあっさり断られてしまった。

「あっ、これは失礼。ついつい口を突いてしまいました。独身生活が長いもので、下手の横付きではありますが多少は料理を嗜んでおります。これほどの味をそのまま再現することは出来ないでしょうが、多少なりとも似たようなものをレパートリーに加えたいとそう思いましただけですので、それほどの理由があるものでしたら無理にとは申しません」

それを聞いて菖蒲は首を少し右に傾げてにっこりと微笑み返した。秀典は相手の機嫌を損ねなかったことをただ安堵して笑みをこぼしている。

さて次はどのような話題を繰り出そうかと思案する間もなく秀典の口は大きく開き、あぁと派手な欠伸を轟かせた。

「あっ、いや、これはまた失礼。どうも満腹になって眠気を催してしまったようです」

目に涙を浮かべながら慌てて弁明する秀典に

「たいそうお疲れでしょうからご無理もございますまい。今宵はぐっすりとお休み下さいませ。すみれさん。お客様をお部屋までご案内しておくれ」

「はぁい」

間の抜けたようなすみれの返事も今の秀典には全く届いてはいなかった。いや、菖蒲の言葉とすみれの返事の意味は理解できて、寝床へつけると言う安堵感は湧いていた。しかし、それ以上の感想を持つことが出来ぬほど今の秀典の睡魔は強烈な力を持って襲いかかっていたのである。椅子の背もたれに手をかけつつよろよろと立ち上がったかと思うと、まるで酔っ払いかなにかのようにふらふらとした足取りですみれの後に付いて部屋を出、二階へと上がっていった。

部屋では菖蒲が一人どこかしら不思議な笑みを浮かべながら再び編み物を手にしている。その笑みは客人の滑稽な失態をおもしろがっていると言うのではなく、何か怪しげな雰囲気を持っている。そんな笑みである。

(二)

紫陽花館に珍しく客人が訪れた日の夜遅く、広間にある唯一「似つかわしくない」窓辺のベンチに人影があった。秀典である。早く床についたのは良いがどうもあまりに早く目が覚めてしまったようである。外は月明かりで薄青く照らされ、窓から入り込む月光は、秀典の姿も妖艶に浮かび上がらせている。秀典はただ、窓から外を眺めている。まるで、何かの虜になったかのように視線は動くことも無く、月明かりに照らされた屋敷の庭を眺めている。

そこへもう一人人影が現れた。ホールから続く扉を開け入って来たことも秀典は気付かないかのようにじっと外を眺めている。人影はやがて秀典のすぐそばまでやって来た。そして、

「今晩は」

と声をかけたのである。その瞬間、秀典はまるで不意を突かれた猫のように飛び上がらんばかりに驚き、振り返った。見ると顔をすぐそばまで寄せてこちらを見ている妖麗な青年がそこにいる。月夜とは言え真夜中の灯りも灯していない部屋の中。知った家のように勝手に広間へ入り込んだことをでも咎められるかとの思いもあって、秀典は二の句もつけずただ息を荒げている。すると青年は顔を引いて秀典の隣に座り部屋の中に視線を向けたままこう続けた。

「私はこの家の息子。名は蘭と申します。花の蘭ですね。女のような名ですが父が生前とても蘭が好きだったそうでどうしてもこの名を付けたいと言い張ったそうです。蘭と言う花は繊細なものから華やかしいものまでありますけど、いったいどれのつもりだったのでしょうね。ところで今日はきれいな満月で。こんな満月の夜は夜更かしするに限りますね」

蘭が相手に口を挟む隙を与えなかったと言うこともあるが、秀典も落ち着くまでに蘭がこれだけを言い終えてしまったと言うのが正しいであろう。ようやく秀典が口にした、

「初めまして。しばらくご厄介になる菊中と申します。よろしくお願いいたします」

と言う言葉も始めのうちは声が裏返ってしまった。だが、秀典が落ち着いていられたのはほんの束の間である。いきなり蘭がこちらを振り返ったかと思うと、また顔を近付けたかと思うと、

「菊。ですか!あはははははははっ」

と、高笑いを残して出ていったのである。笑い声は屋敷の奥へと消えて行き、勢いを付けて扉が閉じられる音が遠くでするまで響いていた。

後に一人残された秀典は再び何も考えることが出来ないかのように蘭が消えて行った扉の方を見つめ続けた。

(三)

翌日。いや。確かに「翌日」であろう。秀典は昼過ぎにようやく目を覚まし階下へと降りて来た。館の広間へ顔を覗かせると、そこには既に住人が全て顔を揃えていた。

女主人である菖蒲は昨日の通り揺れ椅子に座って編み物をしている。すみれはその斜め後ろで立ったままこくりこくりと居眠りをしている。蘭はと言うと例の「窓際のベンチ」に腰掛け、身を捻って外を眺めている。

「おはようございます」

少し申し訳無さそうに小声でそう挨拶をしてみた。それにようやく気がついたかの様に顔を上げたのは菖蒲である。

「あら。お早うございます。ゆっくりとお休みになられましたか?」

「はい。ずいぶんと休ませていただきました。これほどのんびりとしたのは久方ぶりです」

「それはそれは、ようございましたね。今宵はご歓迎の晩餐をご用意いたしておりますのよ。本当ならば夕べのうちにと思っていたのですけどね」

「それはそれは、どうも…」

秀典にはそれ以上言葉をつなぐ事ができなかった。「夕べのうちに」出されるはずだったご馳走は到着早々に寝入った自分の所為で今日に持ち越されたのであるからだと言う事やらで、感謝と謝罪をどのように言い表せば良いかすぐには思いつかなかったのである。

頭をかきつつ先日座った椅子に腰を掛けそうしながらどうもいつもと違い明白としない自分の思考に秀典は気付きかけていた。しかし、その時ふと、窓際のベンチに腰掛ける青年、蘭の事が気になり、再び立ち上がってはそちらに歩み寄ってこう声をかけたのである。

「昨夜はどうも」

しかし蘭はそれに全く気付かないかの様にじっと外を眺めている。蘭を見ている秀典はその時気付かなかったが、彼が蘭のそばへと歩み寄ったその時、黙々と編み物に興じていた菖蒲はおろか、こくりこくりと居眠りをしていたすみれまでが目を皿の様に見開き秀典の挙動を追っていたのだ。

蘭が一向に気付かない風なので、聞こえなかったかなと思い秀典は再び切り出した。

「あ…あのぅ。昨夜はどうも遅くに失礼いたしました。これからしばらくご厄介になります菊中 秀典と言う物書きです。よろしくお願いいたします」

そう言いながら秀典は、昨夜の事を思い返していた。自分の名前を告げた時に蘭が取ったあの行動。花の名前がある事を知って取ったあの不可思議な行動を、再び再現されるのではないかと。

しかし秀典の不安は取り越し苦労に終わった。蘭はそれでも身じろぎもせずに、全く秀典の声が聞こえないかの様に外に目を向け続けているからだ。

少し不安になって秀典は助け舟を求めるかの様に振り向いてみた。彼を目を皿の様にして凝視していた二人はどう言う訳か振り向く秀典に気付かれる事無く元の姿勢へと戻っていた。そう。菖蒲は編み物に没頭し、すみれは「居眠り」を始めたのだ。

どうしたものだろうと戸惑いながら、秀典はふと蘭の視線を追ってみた。そこには昨日この屋敷に到着した時に目にした広大な花畑が広がっている。

「たいそう美しいお花畑ですね」

秀典は何とも無くそう呟いていた。あまりお世辞を口にする事がうまいとは言えないが、それだからこそ口から出てくる褒め言葉は、そのほとんどが本心である。「それで返事が無ければテーブルの方へと戻ろう」秀典はそう思っていた。

すると

「お花畑?」

と、逆に問いかける声に秀典は振り向かざるを得なくなった。何故ならその問いかけは菖蒲から発せられたからである。

「ええ、そうです。昨日も門からこのお屋敷までの間、たいそう香しい花の中を心地よく歩いて参りました。これだけ広いお庭ですと、お手入れもたいそう大変でしょう」

秀典はすみれに問いかけたのと同じ問いをまた口にしていた。

「確かにお庭は広うございますけどここに住まうのは私たち三人ばかり。お恥ずかしいお話ですけど、屋敷は大きくともさほど贅沢はできません故庭師も雇ってございませんのよ」

「いえいえ滅相も無い!えっ…」

秀典はいったい何が何だか解らなくなってきた。昨日門をくぐってからこの屋敷にたどり着くまでを歩いたあの庭は…。花の香りを今でも思い出せる。あれは夢や幻覚ではない。事実、この窓から見る庭の景色も様々な花が咲き乱れているではないか。しかし、そう考えれば考える程、秀典には自信がなくなってしまった。

「これはまた、とんだ失礼を…」

ボツリとそう言うと、昨日腰掛けた椅子へと身を沈めた。

コツ、コツ、コツ、コツ。

年代物の大きな柱時計が時を刻む音だけが響き渡る。

それに混ざるのは菖蒲がする編み物の糸が擦れる音ばかりである。

「少し外で頭を冷やしてきます」

秀典はそう言うと立ち上がり部屋を後にした。

その場にいた誰一人としてそれに応えるものはいなかった。


あの重厚な扉を開けると秀典の目にはやはり広大な敷地に一面の花畑が飛び込んできた。初夏とは言え澄み渡った空に昇る太陽はギラギラと照らしているものの、小高い山の頂きにある事が幸いしてか、さほど暑苦しくは感じない。心地よいそよ風に揺れる花々からは、甘い香りが漂い秀典を包み込んだ。


一体全体どう言う話しだ。僕を馬鹿にでもしているのかしら。


そんな事を思いながら、秀典は庭へと足を運んだ。少し歩いていると見ているだけでは物足りなくなり、しゃがみ込んでは花びらへ手を伸ばしてもみた。


これはやっぱり現実だ。嘘の花なんかではない。いったいどうした事なんだ。


秀典は更に歩みを進め屋敷の裏側へと回ってみた。広大な敷地には背丈のある植物は一つもなく、一面が比較的背が低い草花で覆われている。それこそ「お花畑」と言う言葉が相応しい。

しかし、実は不思議な点が無い訳ではない。ただ、秀典はそのことに全く気付いてはいなかった。それは、花が咲けば蜜を集める昆虫や、植物が茂れば葉を食み、汁を吸う虫がいてもおかしくはない。むしろそう言った動物の営みが無ければ少し不自然である。いくら害虫の対策をしているとは言え、中には益虫だっている事だし、蜂やら蝶やら飛んできてもおかしくはないだろう。しかしそう言った「草花以外の生命」が全く感じられないのだ。秀典が門前で耳にした野鳥の声さえ今は届かない。


のんびりと散歩を楽しみながら、秀典は一つの答えを出してみた。


大きなお屋敷に住まうとは言え、集落とは離れた場所にありそれ程人との付き合いが多いとも思えない彼らが、これ幸いと私をおもちゃにしようとしているのかも知れない。今の程度なら笑って過ごせるし、これだけ心地の良い静かな場所でのんびりと一月を過ごせるのだ。それも格安の料金で。

ここは一つ少し遊ばれてみよう。


空を仰ぐと日は少し傾いている。


そろそろ戻って少し荷物をひもとくか。


屋敷にたどり着いてからと言うもの、考えてみれば寝てばかりいたので荷物もまだそのままになっている。読んでおきたいと携えてきた書物の一つでも引っ張りだそうと言うのである。



屋敷に戻り、一声掛けておこうと広間に戻ってみると、そこからは蘭とすみれの姿が消えていた。

「ただ今戻りました」

編み物に没頭する菖蒲にそう声をかけると

「あら、お帰りなさい。お茶でもいかがですか?」

と、編み物の手を休めて菖蒲が尋ねてくれた。先程と違いごく普通の言動に秀典は安堵と自戒の念を覚えた。人を無下に疑うものではないと思ったのだ。

「はい。ご馳走になります。私はちょっと書籍を取って参ります」

「さすがは作家先生様ですわね。たいそう難しいご本をお持ちになられたのかしら?」

「いえいえ。恥ずかしいばかりです。書籍も難しいかどうか解りませんが、次に書こうと思う話に必要と思われる知識の参考図書で」

そう言って秀典は書籍を取りに上がり、しばらくして本を一冊抱えて戻ってきた。広間には既にすみれがお茶とお菓子を持ち込み、菖蒲にお茶を注いでいるところであった。秀典が何時もの場所に腰を下ろすと、すみれがお茶を入れてくれた。小さく会釈をし一口含むと菖蒲が

「どうぞ召し上がって下さいな」

とお茶菓子を勧める。すみれはと言うと、何か他にも用事があるのだろう。広間から姿を消して行った。

「本をお書きになると言うお仕事は、また大変な事なのでしょうねぇ」

そんな菖蒲の質問から始まり、ゆったりとした小さなお茶会は何の奇異な事も無く過ぎて行った。


それから広間では菖蒲は黙々と編み物を続け、秀典は黙々と読書に勤しみ、気が付くと日も暮れている。

ぐぅと秀典のお腹が時を告げると、菖蒲がすみれを呼びつけた。

「はぁい」

そう言いながら入ってきたすみれに、

「準備はできましたか?」

と尋ねる菖蒲。

「はい。できてますぅ」

「それでは始めましょうか」

「はぁい」

そう言って再び姿を消したすみれは程なく何とも言えないおいしそうな匂いと共に戻ってきた。いや、匂いだけではなく、この娘がたった一人でこしらえたのだろうかと思う程のご馳走を伴って。 すみれが配膳をしていると、匂いにつられたものか、蘭も広間に姿を現した。

「これはこれは、作家先生。ここでの暮らしは退屈でしょう」

昼間とは打って変わってこちらも奇異なところは一つも見受けられない言動に、秀典は再び自戒の念を覚えながら、

「いえいえ、とても快適に過ごさせていただいてます」

と応じる。

そうして「歓迎の晩餐」が始まったのである。


「いやぁ、とても素晴らしいご馳走でした」

いずれも秀典にとっては高級レストランの味に思えたのだ。確かに献立もすみれがたった一人で揃えたとは思えない内容であった。

「ご満足頂けてよかったわ」

菖蒲も喜んでくれたようで、ニコニコとしている。蘭とすみれも満足げな秀典を見て楽しそうだ。

「最後に我が家特製のスープはいかが?」

スープと言えば最初に出てくるものだが、我が家特性は違うのだろう。そんな事を思いながら、秀典の口の中にはあの何とも言えない味が蘇っていた。

「えぇ。是非頂きましょう」

すみれは程なくスープと食器を運び込み、秀典に差し出した。差し出された秀典は食事が何よりも好きと言う人が更に大好物を目の前にしているかの様に夢中になってスープを口へと運び始めた。 そんな彼は気付かなかったが、そうやってスープを口へ運ぶ間中、この家の住人たちは目を皿の様にして彼の様子をうかがっていたのだ。菖蒲もすみれも、そして蘭さえも…。更に、秀典が最後の一口を飲み終えるとまた、菖蒲と蘭は何事も無かったかの様に食事を続け、すみれは給仕の為に立って控えている。

「あぁ、ごちそうさまでした」

「あら、もうよろしいのですか?」

「はい。これほどおいしい料理を頂いたのは何年ぶりでしょう。いや、生まれて始めてかも知れません」

「おほほほ。お世辞のお上手な事」

「いえいえ、お世辞ではなくて正真正銘素晴らしいものでした」

そう言うか言わないうちに、秀典はまた大きな欠伸をこしらえてしまったのである。

「あっ。これはとんだ失礼を…」

「いえいえ、構いませんのよ。どうぞお部屋にお戻りになってお休みくださいな」

「それではお言葉に甘えて失礼いたします」

そう言うと秀典はまた、酔っぱらってでもいるかの様におぼつかない足取りで広間を後にしたのである。

後に残った住人は皆一様に短く、しかし不思議な笑みを浮かべたかと思うと、またそれぞれの行動へと戻ったのだ。

(四)

翌日。昨日よりは早く起きた秀典だったが、それでも既に昼頃まで眠っていた。昼夜が逆転する事はあっても五、六時間の睡眠で今まで事足りてきただけにこれだけ長時間眠ってしまう事に勿体なさを感じながらも、心底から落ち着ける場所なのだろうと結論付け、ここに来てよかったと思うのだった。一月程はぐうたらをしてもバチは当たるまい。そう思ったのである。

「お早うございます」

「あら、お早うございます」

「おはようございますぅ」

広間には既に皆が揃っている。蘭は例の窓際のベンチに腰掛け、昨日の昼間の様に身を捻って外を眺めたままだ。秀典も今回はそのままにしておく事にし、いつもの椅子へと腰を下ろした。

それから軽い昼食を摂り、昨日の続きを読み、昨日と同じ様にお茶をした。その間も、蘭はただ一人、外を眺め続けている。

しばらくしてから、

「少し外の風に当たってきます」

そう言い残して秀典は再び庭へと出たのである。

やはり秀典の目には一面の花畑としか映らなかった。いや、既に秀典はそのことについて考える事はなかった。ただ、ふらふらと広い庭を漂うのが楽しく感じていたのである。


やがて、日も傾き始めた頃、屋敷の広間に戻ってみると、そこには蘭の姿は無かった。いつもの様に黙々と編み物を続ける菖蒲にひと声かけた後、またいつもの椅子に座って再び読書を始めたが、空が夕焼けに染まろうかと言う頃、突然屋敷の奥の部屋から叫び声が響いてきたのだ。それは紛れも無く蘭のものであった。はっと気が付き何事かあったのではと立ち上がろうとした秀典を

「何でもございません。どうぞお掛けください」

と菖蒲の声が引き止めたのである。

「いや、しかし今の悲鳴はただ事では…」

「大丈夫です。私とすみれが参りますから。どうぞお掛けになってお寛ぎください」

と言い残し、すみれと二人で広間を出て行ったのである。その間も蘭の悲鳴は断続的に響き渡っている。その悲鳴はまるで拷問でも受けているかの様に悲痛なもので、秀典はだんだんといたたまれなくなってきたが、菖蒲の静止に抗う気持ちにもなれず、また、階上へ行くにも広間の扉を開けると更に明確に悲鳴が聞こえる事が怖く思え、そのまま広間にぽつりと座り込んでいた。

菖蒲たちが広間を出て二、三分程で悲鳴は止み、元の静寂が訪れたが、秀典の耳にはまだその余韻が鳴り渡っている。本を開く気にもなれず心配になって、扉を通して先が見えるかの様に広間の扉の方を見つめていると、扉のノブが動きゆっくりと開き始めた。菖蒲か?すみれか?蘭の容態はどうだったのだろうか?そんな心配を頭の中で繰り広げながら待っていると、そこに現れたのは蘭であった。いつもの通り、何事も無かったかの様なその姿に、

「もう、大丈夫ですか?何かあったのですか?」

と思わず立ち上がって尋ねたが、

「何の事です?」

と逆に驚かれ、不思議がられてしまい

「いや、あの…。先程悲鳴が聞こえたのですけど」

「悲鳴?それは何かの聞き間違いでしょう。誰の悲鳴だか知りませんが、誰も何ともありませんよ」

蘭のその言葉に惚けていると、

「今日のお夕飯は何かしらねぇ」

と菖蒲も戻ってきた。こちらも何事も無かったかの様子なので、秀典もあまり家の事に深く首を突っ込むまいと考え直したのである。


その日はそれきり奇異なことは起こらなかった。

秀典は夕食後にしばらく読書の続きをした後、風呂を浴びて床に着いたのである。

(五)

翌日は、始めて朝に目が覚めた。

広間に降りて、今度こそは清々しく「おはよう」と挨拶をする事ができた。そこには既に家人が揃っていたが、昨日までと同じ様に蘭は外を眺めたまま身じろぎもせず、菖蒲は黙々と編み物を続けつつも挨拶等は返してくれる。

そうしてのんびりとした一日が過ぎ、日もまた西に傾き沈もうかと言う頃、今日こそは全く奇異なことが起きない日だったとふと思った事が災いだったかも知れない。まるでそれを悟ったかの様に菖蒲がこう切り出したのである。

「とうとう明後日にはお別れですわねぇ」

「えっ?」

誰がお別れするのだろう?と周りを見つめてみたが、どうやらそれは自分の事らしい。約一月、三十日間の滞在のはずだったがどこかで間違いでもあったのだろうかと思案していると、

「本当だ、今日も素晴らしい満月ですよ」

と蘭の声がとどめを刺した。

「ここに来られた日の晩も満月でしたが、今宵の満月はまた美しい」

日も落ち西の地平がまだ少し暗くなる事に抗っている空に、大きな満月が映えている。

蘭の隣へ駆け寄り窓から外の景色を目にして秀典は呆然となっていた。あれからたったの数日、三日程しか経っていないと思ったのが、もう月が一回りする程も時が経っているなんて。それともあの時見た月は満月ではなく少し欠けていたのだろうか?いやいや、いくら何でも十三夜月と満月を見まごう程目は悪くないはずだ。

「明日にはお別れの晩餐をご用意いたしますからお楽しみになさって下さいな」

楽しい時間程早く過ぎると言うが、これほど早く感じた事は今まで一度たりと無かったと思いつつ、まさに狐にでもだまされた思いでその日は暮れて行った。

(六)

翌朝。秀典は初日の深夜に目が覚めてしまった事を除いて、ここに来て一番早くに目を覚ました。

明日で暇乞いをしなければならないとはまだ信じられなかった。何故なら、荷物から取り出したものと言えばたった一冊の本と着替えだけだからだ。一月もの時間があれば読めるだろうと。あれこれ都合十冊もの書物を携えたのは骨折り損となろうとしている。取り出した一冊さえ今日一日かけてようやく読み終えようかと言う程度なのに。

あまりに不思議な事が立て続けに起こった為に読んだ内容がいつもの様に頭に入らず、何度もページを戻りつした事も災いしたろう。今日もどうやら頭には入るまいと諦め半分、しかし、何もせずにいる事もまた苦痛に思えたので、とにかく本だけは開き昨日と同じ様に読書に没頭した。

そうだ、読書に没頭していたのだ。

だのにどうして頭に入らないのだろう。

いつもなら、こんな事は無いはずだのに。


それでも時は否応無く過ぎて行く。


コツ、コツ、コツと時を刻む時計に導かれるかの様に。

次々と編まれて行く糸に引かれるかの様に。


そうしてとうとう日が西へと傾き始めた。

それまで菖蒲は食事とお茶の時以外は編み物をし続け、蘭は食事もお茶も摂らずに日がな一日外を眺めていた。お茶が終わってからは、すみれは姿を見せなかった。おそらく「お別れの晩餐」でも用意しているのだろう。

秀典はこの屋敷で体験した事を思い返してみようと何度も試みていた。しかしどうしてもそれらはうまく行かなかった。いや、全ての記憶が朦朧としている訳でもなく、断片的に思い返せばそれは明白に蘇るのである。しかしそれらをつなぎ合わせようとすると、なぜだかうまく行かないのだ。

そんな事を繰り返すうちとうとう日は暮れてしまった。そして「ぐぅ」と秀典の腹も時を告げた。あの日の様に。

菖蒲がそれを聞きつけたのか、すみれを呼んだ。そして晩餐が始まったのである。


あの日の様にご馳走が次から次へと運ばれ、秀典はそれまでの疑問なぞまるで嘘の様に忘れて黙々と口へと運んでいった。

そうして最後の品も平らげた後、再び満足そうにこう言ったのである。

「いやぁ、とても素晴らしいご馳走でした」

「ご満足頂けてよかったわ」

と菖蒲も言った。そして、

「最後に我が家特製のスープはいかが?」

「えぇ。是非頂きましょう」

程なくスープは秀典の目の前に出された。スプーンを手にする。菖蒲、蘭、すみれの目が光る。スプーンがスープを掬う。三人はまるで乗り出すかの様に今まで以上に大胆に秀典の挙動を追う。それにさえ気付かないかの様にスープは一口、また一口と秀典の口へと運ばれていった。三人の視線はその度に見開かれていき、口元には怪しげな笑みさえ浮かんでいった。

やがて最後の一口をすすり終えたのを見取ると三人は元の「顔」に戻ったが、一つだけ今までと違うことが起きた。それは菖蒲がこう切り出した事である。

「スープのお味はいかがですか?」

それまでは味の事等聞かれなかった様に覚えていた秀典は、ほんの少し驚いたがすぐに笑みを浮かべて

「とてもおいしかったです」

と答えた。

「お代わりはいかがですか?いくらでもご遠慮なさらずに」

「いえいえ、さすがにもう満腹です。ご馳走様でした」

「そうですか…」

珍しく菖蒲が、物足りなさそうな、歯切れの悪い言葉を発した。だが、そのすぐ後にこう続けたのである。

「あなた、このスープのレシピをお聞きになられましたわよね?」

「えぇ。確かに聞きました」

秀典は正直にそう答えた。

「このスープのレシピをお教え差し上げてもよろしいのですけど、絶対に他人には打ち明けないで下さいね」

特製であるが故教えられないと言った菖蒲の口からそのような言葉が聞かれるとは夢にも思わなかった秀典は、これは飛んだ収穫だとばかりに喜び

「えぇ、勿論ですとも。でも、私がそれを聞いて、本当によろしいのですか?」

と尋ねたが、それには答えが無く、その代わりに菖蒲はすみれに小さく頷いてみせた。それを見て広間を出たすみれはやがて蓋をした大皿をワゴンに乗せて戻ってきたのである。

「これは?」

秀典が尋ねると

「我が家のスープに欠かせない食材です」

と菖蒲が言った。

「どうぞ蓋を取ってご覧下さい」

菖蒲に言われるまま、その蓋を取った瞬間

「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」

と悲鳴を上げて、秀典は気を失ってしまったのである。


コツ、コツ、コツ、コツ…。

時計の音が耳につく。秀典はテーブルに俯して眠っていたのだ。見回すと菖蒲は編み物を、蘭は外を眺めている。すみれの姿は無い。

「ぐぅ」と秀典のお腹が鳴った。菖蒲がすみれを呼ぶ。

ご馳走が次から次へと運ばれる。

すべてを平らげ、

「いやぁ、とても素晴らしいご馳走でした」

と口を突く。

「ご満足頂けてよかったわ」

と菖蒲も言った。そして、

「最後に我が家特製のスープはいかが?」

「えぇ。是非頂きましょう」

そこでようやく秀典はなんだか不思議な感覚を覚えた。さっきもこんな事が無かったっけか…。 しかし、スープが広間に現れると同時に、そのような疑問は吹き飛んでしまった。秀典の前にスープが供される。スプーンを握るとまたもや三人の目の色が変わった。しかしそれは秀典には気付かれる事は無かった。一口、一口、秀典がスープを口へ運ぶたびに更に大胆にそれを凝視する三人。最後の一口をすする頃には三人の身体はテーブルにほとんど乗り上げる程になっていた。

「スープのお味はいかがですか?」

菖蒲が聞く。

「とてもおいしかったです」

秀典が答える。

「どうぞいくらでもお代わりして下さいな」

菖蒲がそう言うとすみれがスープの入ったボールをテーブルの中央に置いた。

「それでは遠慮なく頂きます」

秀典はそう言って自らレードルを手にしてボールのスープを掬い上げた。すると、そこにはそれまで気付かなかった「具材」が入っている事が解ったのである。軽くかき混ぜ、その具材ごと掬い上げてみた。するとレードルの上にはスープにひたひたと浸かった丸いものがこちらを見つめているではないか。

見つめている…。

それは…。

「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」

秀典は悲鳴を上げて気を失ってしまった。


かくん。

急に落ちる様な感覚を覚えて秀典は目を覚ました。どうやら椅子に座って居眠りをしていたようだ。見ると蘭と菖蒲がいる。二人ともいつもの場所でいつも通り。

やがて「ぐぅ」と秀典の腹が鳴った。


おや?


疑問符は妙にはっきりしている。すみれがご馳走を持って来る。更に疑問符は明確となる。おいしいご馳走を口にする度に疑問符はどんどん大きくなっていく。

「いやぁ、とても素晴らしいご馳走でした」

と口走った瞬間「しまった」と思った。しかし他にどうする術も無い。口から出た言葉はもう取り戻す事はできないのだ。

「ご満足頂けてよかったわ」

と菖蒲も言った。そして、

「最後に我が家特製のスープはいかが?」

だめだ。ここであの言葉を言っては…、しかし実際に口から出た言葉は

「えぇ。是非頂きましょう」

スープが目の前に供される。スプーンを握る。一口、一口、とてもおいしく頂いてしまう…。

それでもまだ秀典は気付かなかった。三人の行動に。何かに取り付かれたかの様な形相で、異様な笑みを浮かべ、大きく目を見開いて自分を凝視する三人に。

秀典が最後の一口を口に運ぶ。三人はそのままの姿勢で、菖蒲がこう切り出した。

「お代わりはいかがですか?いくらでもご遠慮なさらずに」

秀典は実際もうとても満腹で、どんなに好物なものを差し出されたとしても入りっこ無い状態だった。

「いえいえ、さすがにもう満腹です。ご馳走様でした」

「そうですか…」

秀典はこの菖蒲の言葉を、前に聞いた様な気がして、そしてその時よりももっと歯切れが悪く聞こえた。

「あなた、このスープのレシピをお聞きになられましたわよね?」

「えぇ。確かに聞きました」

秀典は正直にそう答えた。

「このスープのレシピをお教え差し上げてもよろしいのですけど、絶対に他人には打ち明けないで下さいね」

この時秀典は、聞いてはいけない、聞いてはいけない!と頭の中でこだまする気がして、

「いえいえ、確かに始めはお尋ねいたしましたが、お家特製と聞いてはよそ者の私が知るのは恐れ多い事ですし、それにそれを知ったとしても同じ味を作れる自信もございません」

しかしその言葉は、たいした意味をなさなかった、何故なら

「まぁまぁそうおっしゃらずに。このスープにはね…」

秀典は既に恐怖に似た感覚を覚えていながら、しかし三人の異様な姿勢には気付く事も無く、ただ、ほんの一寸先にある菖蒲の顔を、いや、菖蒲の「目」を見つめるしか無かった。そして、その少し下にある菖蒲の口からは続けてこのような言葉が溢れたのである。

「我が家特製のスープには、我が家の代々の『男』たちが入っておりますのよ」

「そうなんですぅ。旦那様も去年お入りになられたところなんですよぉ」

「僕もそのうちここに入るのですよ」

「いかがですか?『我が家の味』は?」

菖蒲の手にはいつの間にかレードルが握られ、そこにはスープに浸かっている眼球がこちらを見つめている。すみれの手には大皿がありそこには十分に煮込まれた誰かの頭が乗っている。

そうして秀典は声も無く気を失っていた。

(七)

翌日。昼前に秀典は目覚めた。なんだかぼうっとしているが、しかし少しでも早くこの屋敷を立ち去ろうと言う気持ちが背中を押している。荷物はほとんどほどいてもいないので、そそくさと鞄を肩に掛け部屋を出た。

広間に顔を出すと三人が何時も通りに揃っている。

「大変お世話になりました」

秀典は手っ取り早くそう告げた。

「あらあら、もう行ってしまわれるのですか?軽くお食事でも摂ってからいらっしゃればよろしいのに」

「いえいえ、なかなかそうも参りませんで。貧乏暇無しと言ったところでしょうか」

全く訳の解らない言い訳を残し、

「それではこれにて失礼致します」

と深々と頭を下げると半ば逃げる様に玄関へと向かった。

来た時には奇麗な花畑だと、いや、昨日までそう思っていた庭は今日見てみると草が生え放題に荒れている。


これは一体!


しかしもう、驚いてもいられない。とにかく門に向かって歩き出した。

草に足が取られるようで思う様に進めない。やがて焦りが増し、何時しか駆け出し、何かから逃げ出し、転がる様にしてようやく門の前に辿り着いた。それでも後ろを振り返る事無く、潜り戸を開けると急いで門の外へと飛び出したのだ。

その途端、耳にはいろいろな生命の声が聞こえてきた。

鳥の声、虫の声。

それがとてつもなく懐かしく思えてならなくなり、目頭が熱くなるのを感じた。

しかし、まだ安心はしていられない、一刻も早くここから立ち去ろう。舗装された坂道を転がる様に駆け下りた。何度転んだか解りはしない。やがて周りの木々も少なくなり、そろそろこの一本道が終わろうと言う時になってようやく走る事をやめ息を整えてからとぼとぼと歩き出した。

すると向こうから人がこちらに向かって歩いて来るではないか。この道はあの屋敷にしか辿り着かない道。

いや、しかし、途中から山に入って遊ぼうと言う人たちなのだろうか?

やがてお互いの距離が縮まり、どのような人が来るのか見て取れる様になった頃秀典は思わず立ち尽くしてしまった。

前から来る人は紛れも無くあの紫陽花館の三人の住人だったのだ。


一体どうやって私より先に…。いや、それは考えられない。だとするとこれは…。


秀典はしばらくそこに、凍り付いた様に立ち尽くしていた。

山道を登り行く三人はすれ違い様にくすくすと笑い出し、そのまま遠ざかって行った。


どこかで鳶が鳴いている。


3/19/2004

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コメント

ナギサさん こんばんは。

読まさせていただきました。
発想がすごいというか、文才があるというか
とにかく「凄い」って感じです。
数々出てくる難しい「言葉」をよく使いこなせる
なぁって思いました。
「本」1つにしても「書物」と書くと印象が全く
違いますよね。
こーゆう才能があって羨ましい限りですよ。
次回作、楽しみにしてますね。

出来れば、僕には程遠い「恋愛系」で・・・(何

恋愛系ですかぁ

泥沼なエンディングで良ければ…。

ナギサさん・・・(笑
泥沼でも大歓迎ですよ。
泥沼関係 慣れてますから(何

閃いた時にでも、ゆっくり書いて下さいね。
僕も楽しみにゆっくり待ってますので。

っていうか、今日は七夕だったんですね。
ペットの秘密日記見ました?
ちょっとショックうけますよ・・・・。

僕のペットも意味不明な事言ってるし(涙

んぢゃそれ考えてるうちに

気が向いたら「アブノーマル・バカンス」でも起こそうかな。
恋愛系は心理描写が難しくて…。

おひさ!なぎさちゃん、小説書くんだね!今日は疲れてるので、近いうちにじっくり読ませてもらいます!

そうだよー

るなさんへ
そうだよ。七夕だったんだよ。ペット何か変なこと言ってた?ゆんは何時も通りだった。他のペットは願い事聞いてたりしてたのに。

ひっきーさんへ
「小説」と呼ぶにはおこがましい駄作ぞろいですけど…。そうです、執筆したいなぁと言うのは昔あったので。読まれたらぜひ感想お願いします。

読みました俺の意見だとハンニバルと横溝正史が混ざったような怖さですね
次のも期待していますよ

どちらも読んだことが無いので…

マウスさんへ
どちらも読んだことが無いので何とも言えませんけど、有名どころばかりじゃないですか…。褒め過ぎですよ。
頭に乗って書くとろくなのが出来ないので、次作は当分先になるでしょう。

ナギサさん おはようございます。
ハンニバルおもしろいですよ(何

「ゆん」の秘密日記にね。
『ナギサが不渡り292個ぐらいくれるように
 お願いしたよ』って書いてあったの。
ゆん・・・・どんな願いだよっ。

他のペットは願い事ちゃんと聞いてましたね。
育て方なんだろうか?僕のも意味不明だし・・・。
ちなみに北海道は8月7日なの。七夕ね。

では、また眠りに入ります(何
また、あとでね。

よく眠れますように

るなさん、今度こそはよく眠れますように。

ハンニバルは「ハニバリズム」に興味もあって、読んでみたいですけどねぇ…。読むと二番煎じなこと書いてしまいそうで…。

ゆんがそんなこと言ってたのですかぁ。あの子は何学習してんだろ…。

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